Ave imperator, morituri te salutant.
 3.be softly enveloped in everything


墨色の厚い雲が空を覆う午後。イルカは右手には菖蒲色と白のグラデーションが美しい紙袋を提げ1人どこかへ向かって歩いていた。
暫くすると前方から1人の女がやってきた。
「クレナイさん!」
「イルカ、無事に退院できたのね」
「はい」
「よかったわ」
クレナイは安心したと笑った。
「あの、クレナイさん見舞いに来てくださったんですよね。俺、抜糸と退院手続きで部屋にいなくて…」
「気にしないで、退院日に行った私が悪いんだから」
「いえクレナイさんが来てくれて嬉しかったです」
イルカは少し照れながらも本心を言った。
「これからどこか行くの?」
この辺は上忍や特上たちが多い居住区で中忍はあまり立ち入らない。クレナイが疑問を持つのは当然だった。
「ええとカカシさんのところに行こうかと」
「カカシのところに?」
「今回の任務でかなりお世話になったんで」
お礼の酒です、と笑いながら紙袋を軽く掲げた。
「そう…」
「クレナイさんは?」
「私?私はこれから五代目のところに」
五代目の名にイルカの顔色が変わる。
「え!じゃあこんな所で話してる場合じゃないですよ!」
「ふふふ、そうね」
「そうですよ!」
ほら早く行ってください、とイルカが焦りながら言う。そんなイルカの反応を楽しみながらクレナイは訊ねた。
「イルカ」
「はい?」
「私、あなたのこと好きよ」
一瞬イルカは目を大きく見開いたが直ぐにキレイに笑った。
「俺もクレナイさんのこと好きですよ」
クレナイは笑って
「ありがと」
と言った。

クレナイと別れた後イルカは前にこの道を通ったときのことを思い出していた。それはずいぶんと前のことで、もう2年も経っていた。カカシの部屋を出て自分の部屋に戻るときに通ったこの道は蕭然として生き物の気配がしなかった。
久しぶりの性交はきつくて身体のどこもかも痛かった。中に出されたものは洗い流したはずなのに何故か残留感があってぼんやりとこんな感じだったかな、と考えていた。それでも何だか笑いたいような気分だったことは覚えてる。それが嬉しいからなのか、哀しいからなのかは分らなかったが。あの時の気持ちと今の気持ちは根本では何ひとつ変ってないんじゃないんだろか、とイルカは考えていた。不意にあのとき見た朝焼けが妙に綺麗だったことを思い出した。
イルカはある建物の前で足を止めた。目を閉じて小さく息を吐いた後よし、と呟き建物内に入って行った。



イルカがチャイムを押すよりも早く、その扉は開いた。
驚くイルカをよそに扉を開けたカカシは中に入るよう促す。
「どうぞ」
「…ありがとございます」
部屋の中は簡素なものだった。カーテンを開けていても今日のような暗い重厚な雨雲の下では明かりをつけなくては薄暗い。明かりに手を伸ばすカカシを見てもしかして寝ていたのだろうか、とぼんやり考えているとカカシが振り返った。
「どうかしました?」
「…いえ、もしかして寝ていたのかな、て」
明かりのついた部屋を見てカカシはイルカの考えていた事を推測した。
「あぁ気にしないでください、ただぼーっとしてただけですから」
と言いイルカに座るよう進めた。カカシはそのままキッチンへ行くと棚から2つのマグカップを取り出しコーヒーを注いだ。
イルカは前に来た時と大して変ってないな、と考えたがそれはすぐに打ち消した。あのときは明かりも点けずそのままベッドに倒れこんだし、朝は薄暗かったけど夜が明けていたので明かりは必要なかった。あの時の薄暗さと今の薄暗さ、同じ薄暗いでも条件によってこんなに違うんだな、と取り止めの無いことを考えているとマグカップをもってカカシが戻ってきた。芳ばしい香りが鼻先を掠めた。
差し出されたコーヒーにお礼を言いつつイルカはさっそく本題に切り出した。
「あの、先日は危ないところを助けていただいて有難うございました」
ぺこりと頭を下げるとたいした物じゃないんですけどお礼です、と持ってきた紙袋を差し出した。
「え、いいのに。それより先生もう大丈夫なの?」
「はい。今日抜糸しましたし、明後日から仕事です」
「そうなの」
大変ですね、と言いながら受け取った紙袋の中を見た。
「これ…!」
「冷酒、嫌いでした?」
「いや、でもこれ限定品でほとんど出回ってないんじゃ」
「知り合いがそこに勤めてるので」
気にせずお納めください、と笑うとカカシはじゃあ有難くいただきます、と言った。イルカはコーヒーに一口つけると
「じゃあ俺はこれで」
と言ってイルカが腰を上げた。
「帰るの?」
「ええ」
「でも、外雨降ってるよ」
窓を見るとたしかに水滴がついていた。その数はあっという間に多くなり部屋中に雨音が響くようになった。
それでも何とか帰れないだろうか、とイルカは外をじっと見るが黒い雲の隙間から紫の光が走り、瞬く間に腹に響くような雷鳴が轟いた。そんなイルカを見ながらカカシは言った。
「ここにいたらいいじゃない」
「でも」
「俺は先生に話したいことがあるの」
だからここにいてほしい、と願望口調だがその目はまるで出て行くことを許さないような強い眼だった。
イルカは常にないカカシ態度から何か感じ取り元いた場所に座った。
カカシはコーヒーを一口飲むと口を開いた。
「最後に資料室でヤったときのこと覚えますか?」
「ええ」
「じゃあそのとき俺があなたのこと好きって言ったことは?」
「……」
「勿論あの言い方は最低だって俺も思ってる、だから改めてここで言い直したい」
「…カカシさん」
口を挟んむイルカを制するような目で見た。
「俺はあなたのことを」
刹那、イルカの頭であの映像がフラッシュバックした。

「愛してる」

マグカップを持っていた手がカタカタと静かに震えはじめた。それに一番驚いていたのはイルカだった。カカシはその様子を見ながら話しを続ける。
「たぶん好きって言うのが順番的に正しいだろうけど」
好きじゃ駄目なんだよね…、と遠い目をして言った。
「今回、あんな姿のあなたを見て本当に」
あの瀕死状態のイルカを思い出したのか眉を顰めた。
「…本当に恐いと思った」
カカシは苦渋な表情のまま話していく。
「あなたが死ぬんじゃないか、てそう思うと足が竦んで動けなかった」
そう言ったカカシの顔が意識を失う寸前に見たあの泣き出しそうな顔に似ているとイルカは思った。
カカシは少しきつく目を閉じたあと目を開け、イルカをじっと見据えた。
「先生には悪いけど今すぐ返事をしてほしい」
イルカは震える自分の手を見つめた。
「答えは2つに1つ、受け入れるか断るかか。受け入れてもらえたら嬉しいけど……断るなら俺は今後あなたの前に現れない」
「え?」
カカシの思わぬ提案に声が零れる。
「絶対に姿を見せないってことはできないかもしれないけど、不必要な接触は一切しない」
カカシの凛然たる宣言の後、2人は口を閉ざした。
雨はいっそう激しく窓に打ちつけ雷鳴は収まることなく轟き続ける。
長い沈黙の後震える手を握り締めイルカは小さく呟いた。
「……少し長い話なんですけど、聞いてもらえますか?」
「いくらでも」
カカシは静かな笑みを浮べて頷いた。
イルカはカップに映る自分の顔見つめながら静かに話しはじめた。
「昔、付き合ってた彼女が自殺したんです。…もう7年くらい前になるのかな」

「彼女とは任務で出会ったんです。スリーマンセルである組織に潜入する、なんの変哲もない任務でした。でも出会ったときからお互いに何か感じていて必要以上に近づきませんでした。意識的ではなく無意識に。任務は無事に終わり里に帰還しました。俺たちはその後連絡を取ることなく元通りの他人に戻りました。
でも、ある日、偶然彼女と街中で出会ったんです。お互い相手のことを覚えていたので軽く挨拶して別れたんですけど、次の日食堂でばったり顔を合わせたんです。2人とも顔を見るなり笑い出してその時は一緒に昼飯を食べたんです。食べながら改めて自己紹介とかしたり近況を話しなしたり、とても楽しかった。でも話していると奇妙な感じがしたんです。それが好意なのか嫌悪なのか俺には解りませんでした。だからそれが何なのか知りたい、と思って彼女と付き合い始めました。
彼女は俺より5つ年上で、とてもしっかりした人でした。その頃俺は血気盛んでよく任務で怪我をしてたので彼女は怒ってばっかりだったんですけど、それでも最後は笑って許してくれました。そんな彼女に俺は母親の姿を見ていました。彼女もそれに気づいていてよく私はあんたの母親じゃない、て言ってました。
それでもそのとき俺は本当に彼女のことを愛してるつもりでした、例え限りなく肉親の情に近かったとしても。
付き合い始めて1年ぐらい経ったとき俺に長期任務がまわってきました。期間は約半年。彼女と付き合い始めてからは4ヶ月以上の任務がまわって来てなかったので彼女は少し心配そうな顔をしましたが生きて帰って来て、と言って送り出してくれました。
でも帰ってきたら、彼女は死んでいました。

彼女は俺の部屋で首を切ったんです。
最初に発見したのは俺でした。信じられなくて夢だと、悪い夢だと思いました。でも部屋中が戦場で何度も嗅いだ臭いで覆われていて、直感的に死んでいると思いました。それでも俺は信じられなくて、まだ助かるんじゃないかと倒れている彼女を抱き起こしたんです。
そしたら彼女の口が動いて
愛してる、と

信じられないかもしれませんが、彼女は確かにそう言ったのです。夢でも幻覚でもありません。今でもあの時のことは鮮明に思い出せます。

検死の結果、死後3週間以上だと言われました。腐乱状態と彼女の休養申請、目撃情報、俺の部屋に張られた結界、そして凶器から自殺と判断されました。俺も他殺ではないと考えていたのでそれは納得しました。
でも俺が発見したとき彼女が死んでいたなら何故彼女はあんなことを言えたんでしょう。俺が見たものは、聞いたものは何だったのか。周りは気のせいだ、任務明けで疲れていたんだ、と言いました。でも俺にはあれが気のせいだなんて思えなかった。
その後、彼女の両親から一冊の本を渡されました。日記でした。そこには最初に出会った任務のときからずっと気になっていたこと、あの日偶然であったときは本当に嬉しかったということ、他にも日常の小さな出来事が書かれていました。
でも次第にその内容は現実と空想が入り混じったものになっていきました。最後は彼女は自らの世界に入りただ俺に対する想いだけを綴っていました。
愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる、……何ページにも渡って書いてありました。

それを見て俺は彼女のあの言葉が現実だと確信しました。
そして恐くなった。彼女の妄執ともいえる感情に


それからは全てが最低でした。
対人恐怖症て言うんですかね、とりあえず人が恐くなりました。会った人の言葉が彼女のあの言葉に聞こえてパニック状態になるんです。そんな状態ですから任務どころか日常生活も侭なくなってうつ病になり、と他の病気も合併して起こったのでカウンセリングを受けるように命じられました。通院するうちに対人恐怖症やうつ病は回復していったんですが、人からの好意、特に恋愛感情を向けられることに強いストレスというか、恐怖を感じるようになったんです。何度か告白されたときパニック状態になったり、相手を傷つけたり……なのでそれらしい感情を感じるとその人を避けるようになりました。そんな俺を見て誰かが言いはじめたんです。俺は彼女に呪われてる、と
でもその噂のおかげで俺は今までずっと独りでいることができました。恐怖に晒されることなく安穏な暮らしを送れていたんです。」


イルカは冷めたコーヒーを口に含んだ。手の震えは既に止まっていた。
「なのに、あなたはそんな俺に、あんなことを言う」
イルカは何の感情も無い瞳でカカシを見た。
「いつもなら彼女の顔が、声が俺が離れないのに………思い出すのは全部あんたのことなんですよ」
その声はどこか嗤いを含んでいた。
「………」
「ねぇ、なんでですか?何で俺は彼女の代わりにあんたを思い出すんですか?何であんたはあんな顔してたんですか?あの時あんたは本物なんですか?………何で、俺はこんなに、苦しいんですか?」
死んだ彼女、的の術中で見た彼女とカカシ、自分を助けたときのカカシ、病院で自分を眠りに誘ったカカシ、どれが現実でどれが夢なのかイルカには判らなかった。ただ自分がそれらによって掻き乱されていることだけが確かだった。
「…先生」
「…………」
「その女よりも俺を思い出したの?」
「…………そうですよ」
「なら、先生は俺のことが好きなんですよ」
断定するカカシ。イルカはそれを不審な目つきで見た。
カカシは苦笑しながらイルカの頬に右手を添え顔を近づけた。静かに唇を合わせ、ゆっくり味わうように下唇を食む。左手をイルカの後頭部に回し結紐を解き黒髪を梳いた。イルカは目を閉じ少し口を開けた。カカシの舌がイルカの口腔をゆっくりと侵していく。お互いが舌を貪るたびに粘着質な音が立つ。零れた唾液をべろりと舐め取るとカカシは顔を離し、こつんと額をくっつけた。お互いの吐息を間近で感じる距離。
「本当に俺のことが嫌いなら、こんな事はさせないでしょう」
小さく擦れた声でカカシは囁く。
身体を離すとイルカは目を開けカカシを見た。カカシは意地の悪い笑みを浮べている。
「ま、それ以前にここには来ないだろうけど」
イルカは顔を顰めると髪をかき上げた。
「先生、返事は?」
「………」
イルカは返事よりも先に結紐を返せ、と手を出す。
「答えてくれないならここから出さないよ」
結紐も返さない、と言い出すカカシにイルカはいっそう顔を顰め大きな溜息をついた。
「……俺はイヤなんですよ」
「何が」
「俺も彼女と同じことをするんじゃないか、て」
「そんなこと先生はしない」
それに俺も死にません、とはっきりと断言した。そんなカカシが気に入らないのか間髪容れずにイルカは反論する。
「何で言い切れるんですか」
「何でって…」
「だって彼女は俺のこと愛してたから死んだんですよ」
「違う!」
大声で否定するカカシにイルカは驚いた。
「だって、彼女は自分が一番可愛いから、自分のことを一番愛してたから死んだんですよ……もし本当にあんたのこと愛してたなら自ら命を絶つなんてできない」
イルカははっとした表情でカカシをみた。

「だから先生は死なないし、俺も死なない」

ぽたり、と涙が頬を伝って落ちた。
「え、何で…」
イルカはとめどなく溢れる涙に困惑していた。
あーもう、とカカシは呟くと涙を拭うイルカを抱き寄せた。
涙で濡れるイルカの目を見つめて言う。
「ねぇ、好きって、俺のこと愛してるって言ってみてよ」
イルカは目を大きく見張り頬を紅潮させた。うーっと唸っていたが観念したのかカカシの耳元に顔を寄せて小さな声で囁いた。
「あなたを、愛しています」
カカシは満面の笑みを浮べると俺もです、と言って溶けるようなキスをした。

雨は降り続いていた。
だが、それはしとしとと静かに降る柔らかい雨だった。




4.It's little that the difference between Cupid and Familiar.(EC)