「愛してる」

耳に落ちてきた言葉は小さなものだった。あまりにも小さすぎて最初は空耳かと思った。告白にしては真実味に欠け、戯れにしてはあまりに無意味だった。

だから、カカシ先生の瞳を見て驚いた。
いや、驚きじゃない。

あのとき感じたのは
紛れもなく
恐怖だった。


Ave imperator, morituri te salutant.
 1.in the case of the brunet


あれから2週間。
カカシ先生には全然会っていない。

もともと外勤のあの人と内勤の俺には接点はない。初めて顔合わせたのはナルトたちがあの人の部下に決定したとき、その後の懇親会で一言か二言交わした程度。
けど、そのとき俺たちの空間とか雰囲気だけが周りよりもひどく歪なもののように感じた。だから俺たちはその場を出て行った。
この世界は貞操観念が低いから大概の性的嗜好は受け入れられる。それでもあのはたけカカシと俺が一緒に出て行くっていうのは其れなりの衝撃を与えたらしい。不思議な組合せだと感じるものの結局、あの人の奔放な恋愛歴と俺のあのことで概ね納得したらしい。
懇親会を出た後カカシ先生の部屋に行ってセックスをした。そのときも会話らしい会話はなかった。ただ帰る前にカカシ先生が謝ったことが印象に残っている。最初、今日の事かと思ったけど抵抗しなかったのは俺だから謝られる必要はない、じゃあ何の事だろうと考えあぐねているとカカシ先生が手首を指差した。俺の左手首には赤黒い指の痕がくっきりと残っていた。俺はそれまで気づいてなかった。確かに見た目はひどかったけど大して痛くなかったので直ぐに消えますよ、と言って別れた。
それから俺たちは不思議な関係が続いている。けど俺たちは生活が違うからしょっちゅう会うわけじゃない。週に1回相手を見つけられたらいいほうだと思う。それでもお互いに話す事は無い。話す時間が無駄とかそういう意味じゃなくてただ会話の必要性を感じられなかった。だからやる事はただ口付けを交わして時間的余裕があればセックスに傾れ込む、そのくらい。
そんな状態が今も続ている。
けどお互いの部屋を行き来する事はなかった。俺がカカシ先生の部屋に行ったのは最初のあの日だけだし、俺はあの人を自分の部屋に招いたことは一度もない。互いの領域を侵さず、つかず離れずの今の距離が一番適切だとお互いに判断したから現状があるのだと思う。話さないからお互いのことは何も知らない。知ってるのはどうしたらお互いが好くなるかだけ。

最後にあの人に会ったのは資料室だった。
その時は本当に偶然だった。俺は任務割当適性資料の返却でカカシ先生は次の任務地の国内情勢の資料を探していた。目が合っても互いに会釈すらせずただ手を伸ばして触れてあとはいつも通り。誰が来るか判らない資料室でヤるのは背筋がぞくぞくして興奮した。後ろから押さえるカカシ先生は責め立てるように律動していた。限界だと思った瞬間、弾けて真っ白になった。その直後、内臓であつい熱を感じた。
黴臭くて埃臭い部屋に青臭い臭いが混ざった。俺は冷たい壁に頬をつけて必死に呼吸を整えながらどうやって換気しようかな、と考えていた。
その時だった。
あの人があの言葉をこぼしたのは



はっきり言ってあの言葉は好きじゃない。
いや、好きじゃないてもんじゃない、きっと俺は憎んでる。
あの類の言葉を、意味を、それを俺に向ける存在すべてに嫌悪と恐怖を抱いている。
だから正直に言って今あの人に会いたくない。
悪いがあの人が今、任務に出てくれることに感謝すらしてる。

そんなことを考えていると執務室から帰ってきた同僚から有難くない伝言を受け取った。
「イルカ、五代目がお呼びだぞ」
「ああ、わかった」
俺は処理していた書類を片付けて席を立った。途中すれ違った同僚に任務っぽいぞ、という更に嬉しくない忠告をもらった。


「うみのイルカ、召致に応じました」
執務室にはうずたかく積もった書類の山が点在していた。そんな書類の山の中で五代目は椅子に踏ん反り返りながら茶を飲んでいた。
「よくきたね、悪いけどお前には暫く任務に出てもらうよ」
そう言って五代目は一枚の紙を渡した。
内容は特定指定文書の受け取り。予め潜入した忍から文書を受け取り里へ持ち帰るというもの。受取物と取引場所によってはCランクでも可能な任務だ。
「ランクはBとなってるが実際はCにちょっろっと毛が生えたもんさ」
と言いながら五代目はあちこち引き出しを開けている。
「ただし、場所が場所でね」
あった、あった、と言って地図を広げた。
指差したのは忍の足で約2日ほどの距離にある火の国と川の国の国境沿いの森。そこは奇怪な動植物と数多の忍が仕掛けたトラップが無作為に発動する危険地帯だった。
「さすがにここは経験のある者じゃないと入れないからね。お前はこの辺一帯には詳しいみたいだね」
「はい。多少ではありますが」
「よし。まぁ機密文書じゃないから上忍は来ないとは思うが、万が一に備えておきな」
「はい」
五代目は満足そうな顔をするとこれが相手の特徴と合言葉だよ、と火印の透かしが入った紙を渡した。俺はそれを頭に叩き込むと少しチャクラを紙に流した。すると紙はあっという間に灰になって消えていった。
改めて向き直ると五代目は厳格な声で告げた。
「うみのイルカを当任務に任命する。なお取引場所の正確な位置は追って式で連絡する、以上」



里を出発して一日半。あと少しで森が見えるというところで式がきた。取引場所は森の中心部。そこは多くのトラップが複雑に絡み合い本来単独発動であるものすら連鎖式に発動したり、既に死んでるはずのトラップが復活したりする一番危険な場所だった。何でこんな厄介な場所に、といぶかしみつつも歩を進めた。
この森は昔任務で何度か利用したことがあるので大体の特徴は分かっているのだが、世の中のトラップ愛好家とかフリークがこぞって罠を仕掛けたり逆にその危険地帯で対罠鍛錬をしたりわざと発動させて楽しむ偏屈者によって常に変貌を遂げている魔の森なので油断はできない。
奥に進むにつれ静寂の中に張り詰めた緊張感が高まってきているのを感じた。指示通りの場所に到着すると一匹のトカゲが樹の陰に張り付いていた。胴部分の模様が特徴と同じことを確認するとチャクラを流し合言葉を言った。
するとトカゲはぶるぶると震え小さな巻物を吐き出すと瞬く間にと消えた。
巻物を拾い損傷の有無を確かめ保護術をかけベストに仕舞い里に向かった。
30分ほど走ると後方から急速に近づいてくる存在を感じた。この森では他の任務に巻き込まれる事が多々あるのだが、その存在はまっすぐこちらに向かっていた。五代目の話しだと上忍レベル追い忍は来ないはずなのだが感じ取れるチャクラから考えるられるのは上忍レベル、それも2人。少し足には自信はあったのだがこのままいけば小一時間で追いつかれるだろう。
彼らの任務がこの巻物の奪還なら戦闘は避けられない。それならこちらから先に打って出た方が勝機を見出せる。幸か不幸は周りはトラップの山、利用できるだけ利用してやろうじゃないか。
覚悟が決まれば後は簡単で追跡に気付いていないふりをして速度を落として森のはずれに向かった。
あそこには俺が苦心して造った罠がある。行きに確認したときはまだ生きてるようだったからもう少し手を加えれば上忍一人は確実に潰せる。自信過剰ではないがもう一人もあの連鎖式で無傷で済むはずがない、動揺した隙を上手く突けば十分生存圏内を狙える。
背筋を駆け抜ける寒気は恐怖から来ているのか興奮からなのかは判らないが久しぶりに緊張感ある時間が過ごせそうだ、と考える自分に忍としてしか生きていけないことを感じ笑いが漏れた。
さあ、楽しい時間の始まりだ。

巨樹の枝に立ち敵と自分の距離を確認する。姿は見えないが直線距離でおよそ1.5km。最初の時限式罠はあと1分20秒で発動する。計算上トラップは彼らがポイントを過ぎた20秒後に爆発し連鎖反応で南東約100mに位置する彼らの地点にあるトラップが発動、そこから半径1kmに特殊強化結界が3分間張られる。その間は結界内のトラップが一定以上の温度を持つ熱生命体を排除するために連鎖式で発動する。あの連鎖を断つのは上忍といえどもほぼ不可能。
近づく敵を感じながら頭の中でいくつものパターンをシュミレーションし最適の結果が得られるものを考えつつ最初の罠が発動するのを待つ。トラップ発動まであと3、2、1…
瞬間、あたりを耳を劈くような凄まじい爆音が包み大地を揺らした。しかしその後、総ての衝撃は結界に遮られ、静かな森に戻った。
トラップの発動順番・種類から敵は南に大きく迂回しながらこちらを目指すはず。そうすると結界消滅直前にはここから南西500mほどの地点に到達する。あそこは鉄線と火炎の宝庫なので上手くいけば斬首、最低でも重度の熱傷には持ち込めるだろうと考えながら予想地点へ移動した。

結界が消滅した。予測通り敵の頸が飛び、周りに紅蓮の火柱が立ち昇ち上った。飛び散る火の粉と熱風が肌を焼くがそれどころではなかった。一人は確かに潰したがもう一人は炎に巻き込まれるところまでしか確認していない。火柱が収まり炭と化した木々のなかを探査するも頸のない焼死体しか見つからなかった。焦げ臭い焦土の中に立ち敵の存在を探るが何も感じられない。
しかし第六感は確実に敵の生存を告げている。
息を殺し周りの空間に溶け込もうとした時、不穏な気配を感じた。下だ、と気づき跳躍するが隆起した黒土は意思を持ったかのようにまっすぐにこちらに伸び俺の足を掴むとそのまま地面に叩きつけた。何とか受身を取ったが乾いた硬い大地は予想以上の痛みをもたらし直ぐに態勢を立て直せない。脳内がぐらぐらし呼吸器系が圧迫されて息がつまる。このままではまずい、と歯軋りしながら目の前の土が盛り上がりヒトの形をしていくの見ていくしかできなかった。

「ずいぶんと派手な事やってくれたじゃねーか」
敵の声は怒りに満ちていた。男は顔全体に熱傷を負い満身創痍だった。しかしその目は事態を的確に判断できる冷静さがあった。もはや隙はどこにもない。
「楽に死ねると思うなよ」
男はそう言うと素早く印を組み始めた。幻術だと気づいたときには周りの景色は砂のように崩れていった。

変わって広がったのは手狭なアパートの一室。一つだけある窓のカーテンは閉められ陰鬱さに拍車をかけている。その部屋の中央に人が倒れている。うつ伏せで倒れているのでよく判らないが体格から判断するに女のようだ。こちらに向かって伸ばされた腕は青白くまるで助けを求めているように見える。彼女の周りは黒い滲みが広がっている。薄暗い部屋ではそれが髪なのか血なのか判らない。ただ鼻に付く錆臭さと饐えた臭いは嗅ぎなれたもので女が生きていない事を証明してた。
口の中が乾き脈は速くなる。早くここを出なくてはならない、と思うのだが女を直視するだけで指の一本も動かない。
血が凍るような冷たい風が首筋を弄った瞬間、女の腕が動いた。
ズ、ズズと畳を這うようにしてこちらに向かってくる。所々腐敗のはじまった腕は動く度にあらゆる体液を撒き散らし、悪臭が漂う。長い髪が重いのか血を吸った服が重いのか女は爪を畳に喰い込ませてこちらに向かう。だが脆くなった爪は割れそこからまた新たな血が噴出し女の手を汚す。
五臓六腑に焼けるような熱を感じたとき身体が動いた。逃げなくてはと思うが足が何かで固定されていて動かない。見ると紐のようなものが床と絡みついている。クナイを取り出し切ろうとするがなかなか切れない。やっと切れた一部を見るとそれは髪の毛だった。女の髪だと直感した。
恐怖に引きつりながら女の方を見ると上半身がゆっくりと上がり顔がこちらを向いた。顔を覆う長い髪のすき間から覗いた口が静かに動く。
「イルカ」
その声は直接鼓膜に伝わり、全身が冷水を浴びせられたように震えはじめた。女の言葉を聞きたくなくて必死で足に絡みついた髪を切るが束になった髪は震える手ではまったく切れない。
「ワタシ、ワタシだけが」
「やめろッ!」
反射的に女の言葉を拒絶するがそれは何の意味もなかった。女は少しずつ確実にこちらに迫っている。手足は凍ったように冷たいのに臓は酸をかけられたかのような痛みと熱が広がり恐怖と焦りが増していく。
「アナタを一番…」
刹那、全身を負の感情が駆け巡りクナイを女に投げた。
クナイは額に刺さり女は動かなくなった。
恐怖に震え上がり混乱した頭は何も考えられず感じる吐き気に口を手で押さえ、ただひたすら消えろと消えろと願っていた。
そうやって震えながら蹲る俺の上に思いがけない声が降りてきた。
「先生」
顔を上げると目の前にカカシ先生が立っていた。
「どうしたんですか、そんな顔して」
いつものカカシ先生だ。だがその瞳に違和感を感じた。
「カカシ先生…?」
ずいぶんと間抜けな声が出たと思う。恐慌をきたした脳は目の前にある事実を認識するのに精一杯で考える事を放棄している。
カカシ先生は俺と同じ目線にしゃがむとそっと頬に手を添えた。その手は確かに温かいのにどこか冷たさを感じる。そしてこれが幻術である事を思い出す。
それでも解らなかった。どうしてあの女のあとにカカシ先生が現れるのか。
「なんで…」
疑問はそのまま口を出た。
するとカカシ先生は笑いながら耳元に口を寄せた。
「前にも言ったじゃないですか」
咄嗟に耳を手で防ぐが、声は脳に直接響いてくる。
「俺はあなたのことを」

いやだ、聞きたくない!


「……ッ解!!」
「へぇ。あの幻術を解いたのか」 
眩暈する身体に聞こえた言葉は自分が現実に戻ってこれたことを自覚させるには十分なものだった。目を開けると男が俺の腹の上に座り鋭い眼光で見下ろしていた。
「木の葉は優秀なのが多いとは聞いていたがここまでやるとはな」
額宛はないが格好から男が特殊部隊に所属、恐らく追い忍に従事していると判断した。
圧倒的に不利な状況下でも相手の情報を読み取ろうとする習性に失笑する。それが気に触ったのか男はクナイを目の前に翳すと見せつけるようにゆっくりと横腹に刺した。黒光りする刃が自分の身体に吸い込まれていくのを見て思わず呻き声が洩れる。しかし一方で既に刺さっている3本のクナイが見え腹が痛かったのはこれのせいか、と納得している自分がいた。
男は深く呼吸をするとそろりと腕を伸ばし俺の頸に手を掛けた。男の手はどす黒く腫れ上がり指先は白く変色し水泡が潰れ粘性の液体で濡れていた。腕は燃えた衣服が張り付きよく判らないが所々見える肌は炭化してるようだった。他人に急所を握られたことよりも男のグロテスクな容姿と異様な形相に恐怖と死を感じる。抵抗しようとするが土で固定された手足はまったく動かない。むしろ動いた反動で腹に衝撃がきて痛みと失血が酷くなるだけだった。
男は少しずつ力を込めていくが苦しさだけで到底死に至るものではない。一向に呼吸困難や痙攣が現れないことから男は自分の腕だけでは殺せないことを悟り頚椎を圧し折るかのように体重を掛けてきた。近づく男の顔は全体が発赤し半分以上の皮膚が爛れている。とくに左頬は酷く白い脂肪までもが見える。鼻がもげるような悪臭と垂れおちる血が男が近づくたびに顔にかかり生理的嫌悪と恐怖をいっそうあおる。男の渾身を込めた絞めつけは気が遠くなるほど長く、顔中が熱くなり苦しさに手足をばたつかせるが何にもならない。
次第に手足に力が入らなくなり動く事すら儘ならず意識が途切れるようとしたとき、全身が軽くなった。


「ゲホッ!!……うっ、ゲホっ…ハァはぁはぁ」
頚部の圧迫がなくなり急激に大量の酸素が気管に入り込む。より多くの酸素を取り込もうとするがうまく呼吸ができない。身体の上に何かが倒れてきて顔に温かいものがかかると同時に錆臭さが広がった。それをどうにかしたいのだが全身が痺れて動かない。ぼやける視界で何が起きたのか確認しようとしたとき上体にかかる重さがなくなった。
切れ切れだが何とか呼吸ができるようになったとき馴染みのある気配を感じた。目を擦り顔を上げるとそこにはカカシ先生が立っていた。まだ術中なのかと愕然として笑いが漏れそうになった瞬間、目の前が銀一色になった。何が起きたのか解らなかったがじわりじわりと伝わる熱がこの人が本物だと実感させた。そして今自分は抱きしめられていて、この目の前の銀色はカカシ先生の髪なのだと理解できた。
「よかった……」
聞こえた声は曇り声だった。
今まで聞いてきたどの声より小さく弱弱しくて胸が苦しくなった。何か言わなくてはと思うのだが何を言えばいいのか解らなくてどんどん喉が痞えていく。
「…カ、シせん……」
名前を呼ぼうとしたが咽喉を押さえられた声は掠れてほとんど音にならなかった。それでもこの人には伝わったみたいで抱きしめる腕が少し強くなった。
こんなに温かいひとだったのか、とぼんやりと思うと自分がこの人のことホントに何も知らないことに気がついた。
何だか身体が重くなって自然と目蓋が下がってきた。きっと今なら夢も見ずにぐっすり眠れると感じた。ゆったりとした心地よさに身を委ねようとしたとき冷たい風が通りすぎた。嫌だな、と思って目を開けると
今にも泣きそうな顔をしたカカシ先生がいた。

そんな顔しないでほしい、と伝えたいのに意識は急速に落下していった。




2.in the case of the platina