真紅のドレスが闇夜に黒く沈んでいる。
月明かりが静かに広がる薄闇の室内、抱擁を交わす一組の男女、途切れ途切れに聞こえる喘ぐような吐息。
情事の場のような状況は、
しかしながら男の背から生える細い腕が否定の事実を突きつけていた。


戯笑に狂して道失ふ


彼女と初めて会ったのは2027年の秋。私が現部署に配属されてから7年後の事だった。
任務は機関所有の自律型兵器の監視。
兵器が任務活動中の仔細を機関長に報告する。生きて還り自分の見たものを自分の口で語る、それが私の仕事である。
活動中の兵器の行動、言動を全て記録し報告することが主目的であり、兵器が大損傷を被った場合は速やかにその場から離脱することが厳命されている。
監視対象は当機関が所有する最強の兵器。
美しい、それが私がその兵器を見たときの感想だった。
蜂蜜色を溶かし込んだような艶やかな金の髪、エーゲ海を閉じ込めたような蒼い眸、陶磁器人形のような滑らかな白い肌、美を結晶化した姿に私は驚いた。
しかし彼女はただ美しいだけではなかった。彼女は人間のようにとても快活に笑う少女だった。
その笑みはパブリックスクールに通う少女たち浮かべるそれとなんら変わりは無かった。
それ故、こんな大人になりきれていない少女を監視しなければならないことに戸惑いを覚えた。
しかし少女のように可憐に笑う彼女こそが機関が所有する最強の動く兵器―――吸血鬼であることを理解するのに時間は必要ではなかった。
たった1回、初回の任務で私は人間のように笑う少女が化物であることを強く認識した。
美しく残酷な化物。それが彼女に抱いた印象だった。
私はその美しく残酷な化物を映写幕越しに観るように監視をしていた。

私が彼女と言葉を交わしたのは、初めて見たときから更にその3年だった。
任務にも慣れ気が緩んでいたとは言わない、しかしながら隙があったのだろう、私は任地で退路を失ってしまった。
「大丈夫ですか?」
彼女はそう言って私に手を差し伸べた。私は戸惑いながらもその手をとった。力強く握り返された掌は今でもよく覚えている。
特筆すべき会話は何も無い。敵の残存兵力の確認や、どうやって退路を見つけ、本部と連絡を取るか、脱出のための策を話しただけだった。
概ねの方針が決まったとき彼女がこう言った。
「何かあったんですか?いつもの貴方なら脱出できたでしょう」
その言葉に雷激が走った。当たり前の事実だが、吸血鬼は人間と比較して非常に身体が発達している。力が強いことは勿論、聴覚、視覚範囲は広い。
故に彼女が私に気づいていないはずが無いのだ。しかしながら私は彼女の言葉で初めてその事実を強く認識させられた。
監視対象と接触することを禁止する規則はない。だが彼女との交流は私にとって非常に拙かった。
彼女は映写幕から飛び出し、こちら側で活動を始めてしまった。
鳴り止まぬ銃声、燦爛と耀く金の髪、飛び散りる血肉、浩々たる赤い眸、美しく残酷な笑みもみな全て眼前にて繰り広げられるようになった。

今宵、彼女の任務には露骨な暴力行為はなかった。
否、いつもと比較すると限りなく極めて少なかったというのが正確だ。
―――敵の情報を手に入れ、始末すること。達成するためには手段は問わない
それが彼女が与えられた仕事の内容。
吸血鬼の特性を最も有効に活かせば任務は労することなく達することが可能だった。しかし彼女はそれを選択しなかった。
砂漠色の制服の代わりに真紅の夜会服を、軍用手袋の替わりに深緋の長手套を、軍長靴の代わりに濃紅の夜会靴を履いて自らを偽った。
ホルターネックドレスは制服に秘匿されていた雪肌の背と豊満な胸を露にし、可憐で残酷な少女を妖艶で酷薄な妖婦に仕立てあげた。
彼女はロシアの諜報員のようにあっという間に標的を虜にした。金髪碧眼の美女が甘い言葉、潤む視線、魅力的な肢体に嫣然とした微笑で近づけば、例えそれが罠だと解っていても掛かるのが男だ。
首尾よく必要な情報聞き出すと塵でも払うかのように男の息の根を止めた。鼓動を刻む心臓を潰した細腕は背中を突き通し、薄暗い室の中で最も濃い影となっていた。
事切れた胸から腕の引き抜くと、どうと身体が仆れた。
彼女は足元に頽る死体には目もくれずただじっと自分の掌を見詰めていた。まるで親の敵を見るかのような険しい顔、硬く唇を結びで己の手を睨み続ける。
「舐めればいいじゃないか」
声がした。低く沁みる声には嘲笑うような響きがあった。しかし声の主は見えない。
彼女は何も答えず今し方、命の原動を破壊した己が掌を見ている。
深緋の長手套は生命の色に染め直され、その染色液は布下の彼女の手までじっとりと濡らしているだろう。
「欲しくてたまらないのだろ」
何処からとも無く現れた黒い靄が彼女の肢体に纏わりついている。
しなやかな柳腰を撫で、柔肌の背を舐め、柔らかな胸を揉み、白磁の首筋を嬲る。
「嫌です。こんな奴の血なんか絶対に飲みたくない」
彼女は眉を寄せ、耐えるように呟いた。
黒靄が凝り闇が生まれた。
闇は長身痩躯眉目秀麗この上無い美青年の姿を形作っているにも関わらず、その雰囲気は禍々しき悪鬼そのもの。この男こそが現・最強の兵器。ヘルシング機関が所有する鬼札。
彼の無機質な指が彼女の頤を捉え上を向かせた。
「じゃあどうしてそんな物欲しそうな顔をしている」
嘲謔の言に彼女はそっと眸を伏せた。長い睫毛が細かく震えている。
「・・・でも、絶対に嫌」
「頑愚だな」
彼は彼女の血塗れた指を取ると自分の口に含んだ。彼女の白い肩が跳ね上がる。
長い舌が指に絡み、指の間に舌が這い、何度も何度もしゃぶる。舌そのものが生き物であるかのように彼女の指を蹂躙する。
布に染み込んだ血をじゅじゅと啜る音が響く。彼女はきつく目を閉じた。
「マスター、お願いです。もう」
だめ、と小さく呟いた。
懇願する彼女の頬は上気し、瞳は涙で潤んでいる。彼は見せつける様に長い舌で彼女の掌を嬲ると嬌艶に笑した。
彼女は羞恥に歪む顔に微かな歓喜の色を滲ませるともう一方の手を彼の頬に添え、静かに接吻した。
甘えるように、啄ばむように重ねた唇は、次第に深くなっていく。
そろりと彼の腕が彼女の背を抱く。滑らかな背を白手袋が蛇の如くに這い絡み付き檻に閉じ込めた。
卑猥な掌が細腰を愚弄するかのように撫でるとふるり、と彼女の背が撓った。
「・・・んっ、ん」
獣のような荒い息遣いと粘稠な水音が薄闇に響く。
二人の口に伝う細い白糸が月光にてらりと光った。
「マス、ター」
掠れた声が落ちた。交わされるのは吐息と唾液だけか、微かに錆びた香がする。
彼の指は剥き出しの貝殻骨に伸び、薄い皮膚とその下に埋まる骨を嬲る。神経質な指先は脊柱の形を一つ一つ辿りながら頚椎へと登っていく。
彼女が彼の耳元に口を寄せた。すると夜会服の襟首を外そうとしていた彼の指が止まった。
二三言、囁くと彼女は嫣然と微笑した。彼は被虐的な弧を口端に浮かべると彼女の白い首筋にぐっと咬みついた。
「っあ」
艶めいた声が上がる。外套を掴む彼女の手が小さく震え、蒼い瞳が紅く耀き恍惚の色を帯びる。
その姿に満足したのか彼は束縛していた腕を緩めた。
彼女はひらり、と彼の腕から抜け出すと静かに扉へと歩き出した。出掛けに見えた唇が赤く濡れて淫靡だった。
その後を追いかけようとした刹那
「ご満足頂けたかな」

真っ暗闇が私を嗤笑していた。