Mors sine musis vita.
3.月夜に吟詠するは光耀のタペストリー
高らかに響く歌声。反響し、共鳴し、城を覆う。残響すらも星の一片のように煌めく。
荘厳な旋律は美しい歌声を引き立て更なる高みへと導いていく。
アーカードは悠然と歩を進める。回廊に響く歌声は彼がよく知る声。
けれども彼はこの声の持ち主がこんな風に歌うことなど知らない。
薄闇の回廊の先、庭の真ん中に立つのは女吸血鬼。純白色の布帛で身を包み、柔らかな梔子の香を纏いっている。淡い月の光が静かに彼女を照らす。
観客は綺羅を飾る虚ろな幽霊たち。ただ彼女の歌に酔いしれている。
セラスはアーカードに気づかない。
否、正確には彼女は誰にも気づいていない。誰も見ていない、何も見ていない、ただ恍惚と自分の中にある繊い糸で優美で優雅なタペストリーを織ることに夢中である。
母に抱かれたときの安心、まだ見ぬ世界への憧憬を経に、手を離されたときの不安、未知への困惑を緯に織れば、輝く未来へ一歩を踏み出したる少年の物語となる。
騎士を戴く名誉、朋友への親しみ、誠を貫く勇気、上位に立つことの優越感を経緯に梭くぐらせれば、高潔なる騎士道物語の場面となる。
改革への興奮、高まる緊張を経糸に、不人情への驚愕、儘ならない事態への焦燥を緯糸に織り交ぜれば革命の一日となる。
充足たる快楽、成功への満足、神への感謝、生命に対する尊敬、死への恐怖を織り延ふれば、それは太古より続く記憶の一片となる。
無実行の後悔、油断への軽蔑、真っ赤な怒りを畳めば、果て無き地獄に堕ちてゆく様がみえる。
暴風雨のような憎悪、束縛する欲望を縦糸、裏切りによる殺意、過ちへの罪悪感を横糸で織りなすは悲恋の一場面。
才能への嫉妬、還れない場所への郷愁を経糸、敗北による恥辱、恒暗に広がる怨み、歩みを止める無念を緯糸に織り出されるは、光に背を向けた者が歩む修羅の道。
胸が締め付けられるような苦しみ、悲痛な哀しみ、その先にある諦念、諦めへの嫌悪、唯一の希望、全ての生命への愛しさにて織り乱れるは尊き人間の生き様。
そして、経緯ともに最上の魂で織り留めれば幸福の姿となる。
感情を、人生を、生命を封じ込めるように、解き放つように、綺麗に丁寧に紡いでゆく。それは不断の潤B至高の御業。魂の旋律。永遠の調べ。
この世界で一番純粋な生命の歌。
一際高いソプラノが鳴り響き、そして歌劇場の幕は静か降りた。
虚ろなる観客は消え、セラスはただぼんやりと夜空に輝く星々を見上げた。衣服はいつもの山吹色の制服に戻っていた。
ぱちぱち、寂とした庭に乾いた拍手が響く。
「随分と面白い歌だな」
「マスター!な、なんでここ、・・・きゃっ」
主人の下に向かおうと一歩踏み出したが、足が縺れた。倒れると思った瞬間、その身体は抱きとめられた。
「すみません、マスター」
「つくづく未熟者だな」
「はぁ、ホントにすみません」
全力で歌ったからだろうか、幽霊に憑依されたからか、身体が鉛のように重い。手足は痺れ全く力が入らない。
幽霊に憑依された人間は体調が悪くなるという。人間ではないが、この状態はどちらかというと後者の部類だろうか、と疲労した頭でアーカードが目の前にいる現実から逃避した。
セラスは、この場に現れた主人が何よりも恐ろしかった。この主人はたぶん全て知っているのだ。
おどおどとアーカードを見上げると、赤サングラスの奥の瞳がセラスを睨め付けている。
「下僕のくせに主人の忠告を聞かないとはいい度胸だな」
やはりバレている。きっと村での騒動からこの廃城での幽霊騒ぎまで全て知っているのだ。
一体どう言い訳しようかと動転した頭で考えあぐねていると身体が宙に浮いた。
「わわっ!マスター!」
「五月蝿い黙れ未熟者」
アーカードはセラスを両腕に抱えて歩き出した。
「あ、う、あのでももうちょっと休めば、たぶんその歩けるようになるかと」
「で、歩き始めた途端に日の光に焼かれて灰になると」
「・・・」
夜明けまであと数時間。それまでに歩ける程度には体力が回復するだろうが、主人の言う通り歩ける体力が戻る頃にはお日様とご対面して塵と化すのだろう。それは疲弊した頭でも容易に想像ができた。
「すみません。あの、お世話になります」
アーカードはセラスを抱え無言で進んでいく。回廊を、陰鬱な廊下を進み、暗闇の間を通りすぎていく。
「幽霊に身体を明け渡す吸血鬼などお前ぐらいだろなうな」
「うっ、あの、うーーーそれはそうなんですけど・・・」
なんとか理由を探そうとあたりを巡らす。
「でも彼女は始めから悪意はありませんでしたし」
「悪意がなければいいのか」
「いや、そうじゃないんですけど、その、なんていうか、人間みたいっていうか人間っていうか、なんか凄く惹かれて、でも何か足りなくて・・・だからお手伝いできたらなって」
最期の希望と叶えてあげたかったんです・・・、と小さく呟いた。
頭上から溜息が落ちるのを感じ、セラスはまた怒られるかとびくびくした。
しかし待てども小言は降ってこない。恐る恐る主人を見上げた。帽子とサングラスで表情は見えず、相変わらず何を考えているのかさっぱり分からない。
アーカードの肩越しにちらりと廃城を見た。堅固な城は役目を終えたかのように暗闇に沈んでいる。きっとこのまま静かに朽果てるだろう。
歌姫は刻んだ。生きた証を、生命を、セラスの心に深く残して逝った。もう歌姫はいない。
「マスター」
アーカードは何も言わない。セラスは言葉を続けた。
「あの、ありがとうございます。聴いて頂いて・・・こういうとマスターは怒るかもしれませんけど、私、いま幸せなんです。ふわふわして凄くあたたかい」
セラスは満足そうに笑うと、やがて静かに眠りについた。
暁の空に白く輝く月が残っている。廃城の梔子が柔らかく優しく揺れた。