闇夜に佇む青白い満月。儚い星光がかすかに煌めく静かな夜。
生命あるものは安寧の休息に身を横たえる。
生命なきものはその静かな闇に遊ぶ。
そんなある夜の出来事。


薔薇の蜜


大英帝国王立国境騎士団が所有する薔薇園。広大な庭園には多種多様な品種の薔薇が植わっている。
手入れの行き届いた花はに妖しく輝き、優美に気高く闇夜を彩る。
その夢幻の苑に遊ぶは一人の女吸血鬼。セラス・ヴィクトリア。
普段跳ね回る髪を綺麗に結上げ、山吹色の機関服の替りに漆黒のイブニングドレスを纏っている。豊満な胸元を飾るは妖光な鳩血色のルビー。
陶磁器のような肌が闇色に映える。月光も薔薇も全てが彼女をより美しく妖しい貴婦人へと導く。
黒裳を引きずり彼女は薔薇園を逍遥する。
真紅薔薇は傅き、
薄桜薔薇は戀い、
丹色薔薇は縋り、
金色薔薇は祈り、
紺碧薔薇は憐み、
黒檀薔薇は跪く、
唯一、白磁薔薇だけが彼女の歩を止めさせた。月光を浴びた青白い薔薇。病んだ白さはまるでこの世の象徴。
セラスは違う、と思った。夢の薔薇はもっと透明で美しかった。けれどとても似ている。
薔薇垣に屈み大輪の花に顔を寄せ、深くその香りを吸い込んだ。
艶やかで、華やかな香り胸を満たした。優しく蠱惑的な香りが脳髄を甘く痺れさせる。
とうの昔に塞がっている筈の右胸の傷がじくじく痛み、眩む様な幻想的な血の匂いに酔う。
蒼穹の瞳は、血のような深緋に変わる。赤く濡れた口唇、乳白色の牙が月光を受けて光る。
さくり、と牙が花弁に沈んだ。
深く哀しい甘美な味が広がる。

「美味いか、婦警」

息が止まった。
セラスが振り返ると闇がそこにいた。
冷徹で残虐な不死王。セラスを夜族に堕とした元凶にして、彼女の唯一の主。
暗澹たる影よりも暗く、闇よりもなお深い地獄の底色を纏った彼は酷薄な笑みを浮かべセラスを見下している。
「血を飲まず、そんなもので遊んでいるとはな」
「あ、・・・ごめんなさい」
セラスは顔を伏せたが、アーカードの手が伸び上を向かされる。
彼の指はセラスの艶やかな紅緋の口唇、冷めた陶器の首筋を、華奢な鎖骨を撫で、撓な左乳を揉み拉く。
「っあ」
痛みと羞恥にセラスは声をあげた。
アーカードの顔が近づく。冷めた唇が耳朶を喰み、氷のような牙が首筋を弄る。
恐怖に震える背筋。しかしそれ以上にセラスは薔薇蜜とアーカードの纏う噎せ返る様な血の香に酩酊した。
底なしの沼に沈む感覚に助けを求めるように腕を伸ばす。腕を上げた際に棘で切ったのだろう乳白色の腕に一筋の血が流れた。
血雫が空中に落ちるより先にそれはアーカードに舐めとられた。甘く痺れた感覚が脳髄を焼く。
弾む吐息。目が眩む。理性なんてとうの昔に飛んでいる。
顎を舐められ、首筋に残る吸血痕を嬲られる。
「ぁ、ああ・・・あ」
血を啜られているわけではないのに、ぞくぞくする。体温が乱れる。赤く滴る口唇は血よりも濃く深く誘惑の音を漏らし、緋色の瞳は恍惚に輝き全てを魅了する。火照った身体はもう制御できない。
アーカードは彼女の唇を塞ぎ、犯した。

「薔薇よりも美味いだろ」
その問いにセラスは艶やかな笑みを返した。

彼女を満たすのは薔薇蜜より深い罪な毒。