カルニカーラのヴィシュカンダ

  2.ガーヤトリー


 手紙はどこか見たことのある少し癖はあるが流麗な文字で綴られていた。



 突然、このような不躾な手紙を差し上げて申し訳ありません。きっとこの手紙はあなたにとって迷惑以外の何物でもないと理解しているのですが、私の我儘からあなたにだけは伝えておきたくて筆を執りました。
私はこれから自分が行ってきた罪の数々を告白しようと思います。しかし残念なことにそれら全てを記すには途方もない時間と莫大な枚数の用紙が必要なのです。
 よって私の悪行は他の者に譲るとして私は私しか知らぬ秘め事をお話したいと思います。


 私と彼の間にどれほどの縁があったのか、私には分かりません。ただ神仏の悪戯にしてはあまりにも性質が悪く、その凶悪さに私はかえって笑いすら出ます。恐らくあなたはこの手紙を読み終わったとき、私のことを愚かだと思うでしょう。いえ、そう思わねばなりません。どうしてそう思わねばならないのか、また私にそう指示されることにあなたは今、不審と不快を感じているでしょう。それはごもっともなことです。ですがどうか最後までこの手紙を読んでください。そうすればどうしてそう思わねばならないのか、どうしてこの手紙があなたのもとにあるのか、全てが納得されるものと思います。

 私が彼の人と直接知り合うきっかけとなったのは三人の幼い下忍を部下に持ったことでした。彼らが私の下に就くことは里の決定であったため私はその命にただ従うだけだったのです。しかしこれから先、命を賭けた任務が彼らを待っているというのに紙の上の数値データから判断した里の決定が彼らにとって私にとって良いものなのか、私は疑問に感じておりました。そこで私は図々しくも我が里の長であり、組織の長である火影様に彼らに試験を課すことのお許しを願いました。長はこの私の卑小な心の裡など見透かしておられたのでしょう、私の願いは聞き届けられました。こうして私は部下になるであろう三人に一つの試験を与えました。その試験は私の師匠から受け継いだもので、要はチームワークが何よりも重要だということを認識させるものでした。私の職務は個々人の能力も重要なのですがそれ以上に仲間の存在がなくてはあっという間に潰されてしまう因果なものです。しかし幼い彼らにそれを言葉だけで理解させることは到底不可能です。故に口頭ではなく実践、身体で教えるのが一番有効と判断し恩師と同じ試験を行いました。結果はヒドイものでしたが彼らは私が伝えたかったことを理解してくれたものと思います。私は彼らを快く受け入れることにしました。これから先どれだけ過酷な運命が彼らを待ち受けていようと私は自分の命を引き換えにしても彼らを守り導いてやりたい、そういう決意で彼らを受け入れたのです。
 彼らは若く未熟でした。しかし誰よりも熱意に満ちていました。彼らのうち一人の少年、名をナルトというのですが(この少年は大変な運命を背負っているのですがこれについては特に記しません)彼は頻繁にある人物の名を口に出していました。幼い頃より冷遇された彼にとってその人物は唯一信頼できる人間だったのでしょう。アカデミー時代の恩師であるというその人のことを話すときナルトはとても楽しく幸せそうでした。目が輝きゴム球のように跳ねる体がさらによく跳ね体いっぱいで嬉しさを表していました。他の二人の子どもたちもとても好意的な印象を持っているようでした。だから私はその人に会ってみようと思ったのです。世間から忌嫌われ人間不信に陥っても仕方なかったナルトが懐きどこまでも尊敬し慕うその人物に。
 その人と会うのは別段難しい事ではありませんでした。ただその人はとても多忙で何度かすれ違いはありましたが、それは私に運が無いだけだったのでしょう。何度か訊ねるうちに遂に私はその人に会うことができたのです。その人の名はうみのイルカといいました。
 彼はナルトの担任であったようにアカデミーで講師を勤める中忍でした。私は一目見て彼が自分とは違う世界の人間だと悟りました。健康的な小麦色の肌、アーモンド型の黒く大きな瞳、後ろで一つにまとめた黒髪が尻尾のように跳ね、自分の腰ほどもない背丈の子どもたちに囲まれていた彼は無限の可能性を広げる健全な導き手であると同時に少年のような純粋さを持ちあわせた聖職に相応しい人格者でありました。身体的特徴としては鼻の頭に一文字の傷がありました。しかしそれが彼を強面にみせるかというとそうではなく寧ろ愛嬌を感じさせておりました。
 私の左目にも傷がありますが鏡を見ても愛嬌など感じませんし他人からもそのように言われた事がないので傷といっても人それぞれだと深く感じました。これは別に私が自分の傷を恥じている、というわけではありません。私の傷は親友から贈られたプレゼントの一つなのですから恥じるどころか誇りに思っています。もちろんこの傷を受ける経緯を考えれば私には恥ずべき点は多々あるのですが、私はそれらを含めて今では誇りに思っております。
 ああ、話が逸れてしまいましたね。私が彼に惹かれた…そうたぶん初めに惹かれたのは彼の手です。
 彼の手は強く逞しく愛するものを守るためにある手でした。私はあの大きく温かな手で撫でられる子どもはきっと幸せになるだろうと直感しました。その美しく優しい手と握手を交わしたときの私の気持ちはあなたには理解できないものと思います。
 私はこれまで数え切れないほど非道な行ってきました。私の手は何かを生み出すのではなく屠るためにある手なのです。己の欲望にのみ忠実な堕落したサルのために黙々と貧しい人々の幸福を破壊し馬鹿げた不幸を創造するのが私なのです。人から恨まれはしても感謝されることは決してありません。これは私が自分を卑下しているのではなく客観的事実として申し上げているのです。
 ですから無垢純粋な子どもたちに接する彼が悪逆無道者の私の手を自然に握り締めたときの衝撃は計り知れないものでした。青天の霹靂、寝耳に水、藪から棒、窓から槍。ことわざを並べても仕方ありませんが取り敢えず思いがけない出来事だったのです。そしてその瞬間、様々な感情が体を駆け抜けました。
 狂喜、歓喜、感動、悦楽、陶酔、満足、絶望、憂鬱、驚愕、驚嘆、羞恥、気恥ずかしさ、落胆、憤怒、嫉妬、憎悪、苛立ち、恐怖、畏敬、不安、感傷、後ろめたさ、恍惚、嘲笑、羨望、泰然自若、孤独、混乱、茫然自失、困惑、迷惑、煩わしさ……。
 あまりに多くの感情が一斉に攻め立てるので私は自分の中にこれほど多くの感情があることにまた様々な感情を抱きました。私は自身を感情の起伏の低い冷徹な人間だと評価しておりましたし、そのように振舞うように努力しておりましたのでこれには大変驚きました。驚いたといってもその場で取り乱したり狼狽したわけではありません。これまで培ってきた冷静さで形式通りの挨拶をして心にもないうわべだけの社交辞令を並べて穏やかに円満に努め、彼が持っているであろう憂慮を取り払い信頼できる人間であると印象付ける努力すらしました。そして一通り終わったあとで今後一切何があっても金輪際彼には近づきまい、と決意したのです。
 しかしその決意はほんの数ヶ月で破られました。子どもたちの昇進をかけた中忍試験への推薦で私は彼と口論を起こしたのです。忍の社会は閉鎖的な超縦社会です。長である火影を筆頭に上忍、特別上忍、中忍、下忍と続きますが火影に直接意見できるご意見番や独立した暗殺戦術特殊部隊や正規部隊統括委員、その他特殊機関が各自の利権をかけて勢力争いをしているのが現状です。そんな厳格な縦社会において一介の内勤の中忍が(誤解を招くと困るのだが私は決して内勤を軽んじてはいない。ただこの世界ではどうしても戦場が仕事場となるので比較的安全な里内で勤務するものを見下す傾向があるというのが実情である。今はなるべく客観的始点で述べたいのでこのように記した。)火影の御前にて上忍の中でもビンゴブックに載り数々の異名を持つエリート中のエリートの(自分のことをこのように述べるのは死にたくなるほど恥ずかしいのですがこうなるとヤケクソである)推薦に意見することは組織の秩序を乱したとして懲罰対象となるのです。彼はそれを覚悟した上で私に異を唱えました。「早すぎます!」と。私は激しく動揺しました。彼の漆黒の双眸が、瞋恚に燃える声が、憤怒に満ちた表情が、全身で獅子の怒り毛のように逆立て憤然として私に向けられているのです。その射殺すような鋭さは私は身体を震え上がらせました。ぞくぞく、とこれまで感じたことのない興奮が身を包み、私は冷静さを失いました。「口出し無用」と彼を制し、神経を逆立てるような言葉を並べ彼を挑発しました。見かねた同僚が私を咎めましたがその言葉すら私を駆り立て彼に必要以上の辛酸を嘗めさせることとなりました。
私は後悔はしておりませんが反省はしております。もっと別の言い方があったと。
 それ以後、私たちはお互いに避けるようになりました。いや、避けていたのは私だけだったかもしれません。なにぶん、私と彼の仕事は違うのでもともと会う機会など無いのですから。それでも意識か無意識か私は考えうる事ができる範囲全てにおいての彼と出会う可能性を避けました。ですが、世界は自分の思うとおりになることないのです。中忍試験が一段落したところで私は偶然にも彼と会ってしまいました。不意討ちだなんて生易しいものではありません。
 私は一瞬で全身が凍りつきました。
 できるだけ平静を装いその場を通り過ぎようとしました。でも彼の生真面目な性格を考えればそれははじめから無理だったのでしょう。あの意志の強そうな黒い瞳がまっすぐ私をみていたのですから。
 彼は私の前に立つと「すみませんでした」と言って深々と頭を下げました。私は一瞬何の事か分かりませんでした。でも彼の話を訊いているうちに中忍選抜試験推薦での一件のことだと分かりました。私もキツイ言い方だったと謝りました。彼は私の言葉にひどく狼狽し、自分の甘さを恥ずかしく思うと恐縮しました。確かに、私からみれば彼は甘い。でも彼は子どもの教師としてはっきりと異を唱えた。彼と同じような反対意見の者は少ないはずが無い。だが我が身の保身のためか彼らは唯々諾々として私たち上忍の決定に従った。組織の表面上の調和を保つためにはそれは必要かもしれない。だが長期的視点に立てば里の未来を担う子どもたちの人生をほんの数ヶ月過ごした人間が決定しても良いものなのか疑問を持つはずだろう。ましてそれが人とは違う過酷な運命を背負っている少年ならばなおの事。
 だから私は教師としてのあなたの意見は受け入れる、と伝えました。彼は驚きで黒い瞳を大きくしましたが、少し恥ずかしそうにはにかみ「ありがとうございます」と言いました。そして、手を差し出しました。あの大きく温かな手。強く逞しく愛するものを守るためにある手です。それが再びこの悪鬼たる私の前に差し出されたのです。私はひどく動揺しました。再びこの手をとっても良いのだろうか、と。
ですが幸か不幸か私は上辺だけを取繕いその場凌ぎの遁辞で逃げることに長けた卑怯者です。薄っぺらい微笑を浮べて彼の温かな手をとりました。優しく強い大きな手でした。


 その後、あの木の葉崩しが起こりました。砂忍との戦争、三代目の崩御、里はかつて無く疲弊し混乱に陥りました。
 私は通常の任務に加え、古巣の暗部のメンバーと共に特別任務に明け暮れていました。来る日も来る日も来る日も殺し合いです。瓦礫を積み上げ、塵芥吹き荒ぶ空を見上げ、欲望の果てにあるのもまた欲望だと知り虚しさを感じながらも生きる自分に麻痺してきた頃、風の便りで碌でもない噂を耳にしました。

 亡霊の話です。
 命令に忠実な高潔ゆえに彷徨う哀れな幽霊です。