Dona nobis pacem.


その部屋には小さい窓が一つだけあった。
その窓からは空しか見えなくて俺は一日中流れる雲を眺めていた。
風が強いときは次々とへんてこな形の雲が流れていくけど、風のないときは薄い群青色みたいな空か、真っ白な雲しか見えなかった。
そんなもの眺めていて飽きないのかと聞かれたけどそれしかないなら飽きるも何もないと思う。

彼は突然ふらり、とやってくる。
そして、俺の眼を隠し手足を縛って犯す。
俺はそれを拒絶したことはなかったけれど、今になって思うのは、それは彼自身が逃げることを許さないための行為だったような気がする。
彼は俺が空を見ているのだと思っていたようだけれど俺が見ていたのは彼の右眼だった。彼の右眼はとても綺麗な青で俺はよく彼の眼に近い色の空を探したのだけれど、結局それは見つかることはなかった。

開いた唇の間から彼の下が滑り込んできて、熱い舌が俺の口腔内を優しく、でも激しく犯す。強く吸い上げられると脳の芯が痺れて息ができなくなる。飲み下せなかった唾液が口の端からこぼれていった。
息のできない苦しさに喘いでいると彼は胸の突起を摘み上げた。瞬間、びり、とした刺激が走って思わず肩が跳ねる。
その後、彼は執拗に尖りを責めた。
舌が千切れるような口付けと胸を弄ばれるだけで俺はどうしようもなく感じてしまった。

ドロドロに溶けた白濁が内股を濡らす感覚も目が眩むほどの快感も上擦った甘い声もみんな彼のものでそこには俺のものはない。だいたい俺のものというか、そもそも俺って何だろう?
この部屋にいるのが俺?
あの小窓から空を眺めているのが俺?
後ろから貫かれゆらゆらと揺さぶられているのが俺?
部屋に木霊する淫らな水音に反応しているのが俺?
何も見えない世界でも感じているのが俺?
こうして考えてるのが俺?
どれも俺だけれど、それは俺の一部にすぎない。俺が俺を捉えようとしても、捉えたときには俺の後ろにまた別の俺がいる。
いったいどこに俺がいるのだろうか。
そんな途方のないようなことを考えていると彼は必ずそれより大きな力で俺を支配しようとする。だから俺の思考はそこで崩壊する。
「何、考えてるの」
上から聞こえる彼の声は低く冷たい。
俺の尻肉と彼の陰嚢がぶつかってぱつんぱつん、と音が鳴る。俺はなんと答えればよいのか分からなくて浅ましく喘ぎ、腰を振り続ける。
すると彼は言葉で追求することはなく俺を更なる苦しみに陥れる。ずるり、と自身を引き抜くとはしたない汁を零す俺の陰茎に触れた。
「あ、、やめ…っ」
俺は声を上げるがそれは何の抑止にもならない。
彼は細い紐で俺をきつく縛りつけた。紐がぐいぐいと食い込んで神経が焼ききれそうになる。
「っっ、、と、、って…」
嘆願する俺を無視し彼はそれを舐める。
殊更丁寧に舌を這わせて温かい口の中に入れてわざと俺に感覚を伝える。
「ひぃ、いぁ、あああ…ッ!!」
先端にじゅじゅと吸い付いたかと思えばぐりぐりと舌先で刺激し、歯を立てて達てしまえ、と促す。陰嚢の方にも手で愛撫を加えるからホントにどうしようもない快感に俺は死にそうになる。
俺は苦しくて髪を振り乱す。とめどなく涙は溢れるし、白痴のように涎をたらし言葉にならぬ声を上げ続ける。
「ねぇ、どうしたい?どうされたい?」
彼は耳元で囁く。酷い人で考える思考を奪うくせに考えることを強制する。
そして俺を苦しめる。
鼓膜を揺さぶる低い声も耳朶を舐める吐息も肌を掠める指も視界を覆う布もみんなみんな俺を苦しめる。
肉体的な苦痛もあったけれどもそれ以上に精神的に辛かった。その時は何が辛いのか、自分が辛いということすら分からなかったけれど。
がたがたと全身が痙攣したかと思うと俺は俺の支配下から外れ彼のものとなった。

眼が覚めると視界を覆う布も手足を拘束する枷もなくなっていた。
眼を転じると彼は部屋の隅に坐りあの小窓から空を仰いでいた。
「ばかだ」
彼はそう言うと腕で顔を覆った。

すべてのものに終わりがある。その終わりは突然やってくる。
彼は消え、俺は窓の外に出た。


誰もが必死になって生きている。自分自身を生きようとしている。
だけど、本当に生きている人間なんてそうそういない。
世界にはあまりにも多くのものがあって考えても考えきれない、生きようとしても生きられない。
俺は神の加護を望んだことはない。だけど人が加護を望むのと同等の望みを俺も持っている。
そしてそれはきっともうすぐ得られる。
ほら、美しい青が見えた。