realita, irrealta
深い水の底からぼやけた音がした。
ふと、見下ろすと右手に持っているのは覚えのない一丁の拳銃。
撃った記憶はないのに右腕は反動が残っている。痺れと鉄の重さで震える。ほんの少し指を動かしたら冷えた銃が滑り落ちた。
ぱしゃり。
水音がして下を見たら白い砂浜だった。
静かな潮騒が聞こえる。波が寄せては返す。
白い波の泡が裸足にじゃれついてる。
くすぐったいような感じがする。
その波が薄紅色になった。
次第に濃くなる。
視線を先に転じると人が、黒髪の男が横たわっていた。
赤い波は彼を越えたときに生まれているようだ。
一歩踏み出した。
足が砂の中に沈んだ。足首に波があたる。
一歩。
また一歩。
近づくにつれてその顔がはっきりとみえる。
鼻筋に横一文字の傷があった。
艶のある美しい黒髪が波に漂い遊んでいる。開けた瞳は何も映していない。
俺は彼の傍らに立った。
波が彼の胸の上を越えるたびに赤い水が生まれる。
彼は動かない。
俺は彼を知ってる。
知っている。
膝を屈めその青白い顔を覗き込んだ。白く濁った瞳は何も見ていない。
俺は震える両手で彼の顔に抱え、口付けた。
冷たかった。
冷たくて硬かった。
あの柔らかくてあたたかい唇はどこへ
涙は出なかった。嗚咽も漏れない。
でも苦しい。苦しくて胸が張り裂けそうだ。
俺は彼の胸に顔を押し付けた。波に晒され血を吸い上げた服は潮と錆の臭いしかしなかった。
潮騒が全身を包む。大きな音、小さな音。波が寄せては返す。
風が狂ったように吹き荒れる。悲鳴のような声を上げて波を連れてくる。
うるさい
聞きたくない
顔を上げるとふつふつ、と水の中から泡が立っている。
泡は彼の右手から生まれていた。中指の爪先から少しずつ溶け小さな玉となりあぶくとなって波と一緒に沖へと流れていく。
少しずつゆっくりと、でも確実に泡となり流れていく。
だめだ
それを止めたくて手を伸ばした瞬間、突風が吹いた。
波がいっせいに押し寄せ、彼と俺を飲み込んだ。潮風が沁みて目が開けられなかった。耳元で風が鼓膜を破らんばかりの悲痛な叫びをわめき散らした。
波が引くのを感じて目を開けると森の中にいた。
波打ち際に座り込んでいたはずなのに周りは苔むした冷たい大地だった。頭上は常緑樹が、そのさらに上は澄んだ青い空が広がっていた。
潮の匂いはしない代わりに森の匂いがした。あのうるさい潮騒は消え痛いほどの静寂が支配している。波で濡れ砂まみれの足は土と苔で汚れていた。
かさ。
小さな音がした。
音はすぐ傍から聞こえた。
ふと、手を見ると指先から蔓草が生えていた。波に溶け泡となり消えて行く彼の右腕に伸ばした自分の腕だった。
細く長い蔓は小さな葉をつけながらしゅるりしゅるりと伸びている。中指から小指は既に蔓に覆われ他の指や甲も順調に草に飲み込まれている。
白い泡となっていた彼の右指は苔と草に覆われていて白い肌はもう見えなかった。
俺にはこの蔓草を払い除けることはせず、彼の右手があったであろう草の上に手を乗せると後は全てなるがままにさせた。指先の蔓は彼の身体を取り巻く草に絡みついてゆく。しゅるりしゅるりと伸びてゆく。途中葉と葉がすれて微かな音をたてた。
俺は彼の腹の上に顔を乗せ、もう血が止まった胸の穴を指先で丁寧に撫でた。ゆっくりと優しく、愛撫するかのように。
すると焼けた服の縁から小さな芽が生えてきた。それはどんどん大きくなってゆく。俺はその芽を摘まなかった。芽は一つまた一つと増えてゆく。やがて小さな白い花をつけた。
俺の指先からも芽がでてきた。それでも俺は彼の傷を撫でた。
反対の腕の感覚がどんどん消えてゆく気がしたが別に構わなかった。
ただ一つ気にかかることがある。
俺は重い身体を持ち上げた。がさがさと葉音がなった。どうやらもう半分ほど植物化しているようだ。俺はまだ開いている彼の眼に腕を伸ばしその瞼を閉ざした。もう彼は何も見えない。
俺は彼の胸の新緑の芽をかき分けその疵に恭しく口付けた。そして目を閉じこの先を考えた。
この草花は俺たちの身体を畝にしてどんどん成長してゆき、気の遠くなるような歳月をかけて木へとなるのだろうか。それとも枯れて土へと還るのだろうか。
そのとき俺は一体どうなっているのだろうか。
肉体は、精神はどうなるのだろうか。
この意識は存在しているのだろうか。
そもそも、どうして俺はここにいるのだろうか。
どうしてあそこにいたのだろう。
どうして彼は死んでいたのだろう。
あの胸の疵は
あの銃は
なぜ
どうして俺だけが生きているのだろう
どうして俺は
俺は一体なにを
ああ、どうか、これが…
だけど
もう目が開かない
「ていう夢をよくみるんです」
カカシはベッドの下に座り込んだイルカの髪を梳きながら言った。薄闇にチリチリと赤い煙草の炎が浮かんでいる。イルカは紫煙をくぐらせ「すべては夢ですよ」と素っ気無く返した。カカシは「そうだね」と笑って頷き、イルカの首筋に顔を埋めた。
唇を寄せ薄い皮膚を食むように口付ける。
ふいに右腕に残っていたあの引き金を引いたようなの感覚を思い出した。クナイで命を奪うよりも簡単で呆気ない。でも重く痺れて忘れられない感覚。
「夢ですよ」
イルカの静かで落ち着いた声が聞こえた。その声は紫煙とともにカカシの顔をゆっくりと舐めていった。
「ただし、この瞬間が現実であれば、ね」
瞬間、カカシの脳裏に夢の映像が去来した。それは非現実的なのにとても現実味があってカカシの脳を揺さぶった。
「それは…」
カカシはイルカの顔を見ることができなかった。きっとあの黒い静謐な瞳は真実を、残酷な真実を告げている。
「ぷ、冗談ですよ。冗談!」
イルカは肩を震わせ必死に震える手で煙草を支えている。
「もー、イルカ先生驚かせないで下さいよ」
カカシは安堵の溜息をつくと仕返しとばかりにイルカの首筋を噛んだ。
「あははは、噛まないで下さいよ〜俺が悪かったですから」
「俺がそーゆーの苦手だって知ってて言ったんでしょ」
「写輪眼のカカシが何言ってるんですか〜」
「それ関係ないし」
「ははは、拗ねないで下さいよ〜」
「いや拗ねてないし」
イルカは煙草を灰皿に押し潰すとのそり、とベットに上がった。
「それに、カカシさんが見たのは夢ですよ、夢」
莞爾として微笑むイルカをカカシはただ見つめた。
そして彼を引き寄せるとその胸に口付けた。
「そうだよ、夢だよ」
たとえ、そこ―心臓の真上―に、あの夢と同じ弾痕があったとしても