Audentis Fortuna iuuat.


背中に杭を打ち込まれたような激痛が走った。息が出来ない。
驚いて顔をあげるとあいつが立っていた。あいつはオレのほうに近づいてくると靴を履いたままオレの顔をサッカーボールのように蹴り飛ばした。刃物が刺さって顔が破裂したような気がした。オレは悲鳴を上げた。堰を切ったように涙を流し続ける目を開けるとボンヤリと床に血溜りが出来ているのが見えた。鼻血と口の中の血がぼとぼと落ちて血溜りが大きくなる。
あいつは濁った目でオレを嗤うと足首をつかんで引きずり出した。割れた酒瓶や灰皿で傷が増え、ざらざらしたカーペットが傷を広げ、壁やドアの角が傷を抉った。傷口がドア角に抉られたとき焼けたように熱くて獣のように吼え唸った。あいつは「うるせぇ」とオレの腹を踏みつけた。声すら出ない苦しみに喘いでいるとあいつは首根っこを捕まえてひっぱり上げた。
そこは浴室だった。湿った黴臭いと変な匂いがした。浴槽には黒緑色のどろどろした液体が入っていた。それは強烈な匂いでオレの嗅覚を刺激した。
あいつの方を見ると濁った目が鋭く光っていた。
殺される!

「…カ、イルカッ!」
温かい手がオレを揺らす。目を開けるとカカシさんがいた。
「……カカシさん」
オレはボンヤリとその顔を見ていた。怒ったような困った顔。
「また風呂の中で寝てたの」
カカシさんはお湯に手を入れ、冷たいと言った。
そう、オレは風呂に入っていた。カカシさんがくれた入浴剤を試してみようと嬉々としていたのだが、いつのまにか寝ていたみたいだ。乳白色のお湯からふわりとイイ匂いが漂う。たぶんこの香りが悪い。脳髄をとりとろり溶かすようなイイ匂いだから寝てしまったのだ。
「こんな冷たいお湯に使ってたら風邪ひくじゃない」
カカシさんは給湯パネルで温度を上げると蛇口を思いっきりひねった。お湯が勢いよく出てくる。ドドド、と滝のような音を立てて出てくるお湯を見ていると自分が夢を見ていたのだと思った。
瞬間、あの黒緑の液体がフラッシュバックした。
ぞくり、と全身が粟立った。
「どうかしたの」
悪い夢でも見た?とカカシさんがオレの顔を覗き込んだ。綺麗な顔。少し疲れがみえる。乳白色の肌、セルリアンブルーの瞳、右目は閉じていてその上を大きな傷が走ってる。でも全然醜くない。プラチナの髪が白熱灯で柔らかく光ってふわふわして綺麗。
オレはふと、どうしてこの人といっしょにいるのか不思議に思った。どうして醜いバケモノの傍にいてくれているのか。疑問、不安、脅え、恐怖、負の感情がぐるぐるとオレの頭の中を回りはじめた。
するとカカシさんが骨が折れるかと思うくらい強く抱きしめてくれた。外の匂いがした。
「カカシさん、スーツ濡れるよ」
「いいよ」
バスタブからお湯が溢れて、どんどんカカシさんのスーツを濡らして行く。カカシさんは濡れることを全然気にしなかった。オレも抱き返そうとしたがバスタブ越しで背中まで手が届かなかった。

* * *

オレは今、蛍光灯に自分の手を翳している。なんかの唄に手の平を太陽に翳すと血が見えると歌ってた。でも見えるのは血なんかじゃない、醜いオレの手だけ。
蛍光灯ってのが悪いのか本当は血なんて見えないのか。
オレの手にはあいつにつけられた傷が消えずに残ってる。身体中に引き攣れたミミズが這ったような線がいっぱいできている。とても醜くくて、汚い。
オレの中で一番醜いのは顔に走る横疵。他の傷よりずっと昔からある。
一番汚いのは背中の疵。火傷が治りかけていたときにあいつがゴルフクラブで何度も打つから更に酷くなって大きな痕になった。
今見ている右腕で一番酷いのは薬指と小指の間から肘にかけて伸びているやつ。酔ったあいつが割れたガラスで面白半分で切ったのだ。
オレは傷を睨んだ。
この醜い傷跡が裂け、あいつが出てきてオレを殴るるような気がしたので更に睨んだ。
「なにそんな恐い顔してんの?」
振り向くとカカシさんがいた。
グレーのTシャツに黒のスエットパンツ、首かけたタオルで頭を拭いていた。
結局あの後、ずぶ濡れになったカカシさんはそのまま一緒に入った。十分温まったオレが風呂から出ようとするとまだダメ、と言って湯船に戻した。そして何とも際どい箇所を撫でたり触ったりするのでホントに別の意味で熱くなりそうだった。
オレは自分の手に視線を移した。
「傷、見てたんです」
カカシさんもじっとオレの手を、傷を見ていた。それがとてつもなく恥ずかしくてオレはさっと腕を隠した。
「あ。何で隠すの」
「何ででもです!」
カカシさんはむー、と不満そうな顔をしたけどオレはそっぽを向いた。
「それより!髪の毛ちゃんと拭きなさい、て言ったでしょ」
ぐい、とオレの身体をひっぱると持っていたタオルでごしごしと拭き始めた。
「わっ、わわ!」
最初は大雑把だったけど次第に丁寧になっていくのでオレは思わず笑ってしまった。頭皮と毛先の水分を拭き取ると今度はドライヤーを持ってきた。全体を乾かしながら
「熱くないですかー?」
と聞いてきたので
「熱くないですよー」
と返した。ふふふ、お店の人みたい。
根元を中心に内側から外側に向かって少しずつ乾かしてく。温かい温風とカカシさんの指がするりするり、とオレの頭を撫でていってとても気持ちいい。ずっと続けばいいのになぁ、と思っていても終わりはやってくる。
「はい、おしまい」
「ありがとうございまーす」
髪はちゃんと乾いていた。オレがやると何か湿った感じだけどカカシさんがやるときちんと乾く。オレが髪を摘みながら伸びたなぁ、と思っているとカカシさんがその手をつかんだ。オレは髪を放し彼の好きにさせた。カカシさんはにこり、と笑うとオレの指先を軽く持って片膝をついた。そして、ゆっくりと手の甲にキスをした。
それは昔、絵本の挿絵で見たのと同じだった。
「カ、カカシさんっ!」
オレは頬がどんどん熱くなるのがわかった。カカシさんはにやり、と笑うと
「イルカ、かーわいいっ」
と言ってオレの頬にかぷりと噛り付いた。それが何だ大きな犬みたいでくすくす、笑ってるとべろりと頬舐められた。首筋や耳の付け根の匂いを嗅いだり優しく唇を落としたりとやっぱり犬みたいだと思った。オレはカカシさんの首に腕を回して髪にキスをしながらこの人が犬だったらきっとかっこいい犬なんだろうなぁ、ゴールデンレトリバーとかシベリアンハスキーとか大きな犬なんだろうな、と考えていた。
だけどやっぱりカカシさんは人間で、その手はどんどん不埒な方向へ進んでいった。最初は腹筋や肋骨をなぞっていたのに今じゃ片方の乳首を掠めるようにして撫でている。それがたまらなくイヤでカカシさんの髪を食んで引っ張った。カカシさんは笑ってオレの首元を吸ったり噛んだり舐めたりしながら乳首をくりくりとこねた。
「っん…」
思わず声が漏れた。それに気を良くしたのか指の間に乳首を挟んでころがしたり強弱つけて弄びはじめた。オレは声を出すのがイヤで噛み付くようにカカシさんにキスをした。少し口を開けると下唇を吸われて唇の輪郭をなぞるように舐められたあと舌が入ってきた。熱く柔らかい唇と舌の感触を楽しんでいくうちにぬちゃ、ぬちゃと舌が絡み合う唾液の卑猥な音が脳髄を刺激してさらに興奮する。舌で歯の裏や歯茎を舐めて唇を離すと唾液が糸を引いた。それを見て笑ってまた唾液でべたべたになった唇をお互いに舐めあった。
興奮した腰を太ももに押し付けられたので膝でそろり、となぞって
「…ここじゃ、イヤです」
と耳に吹き込んだら言ったら引きずるように抱えられてベッドに押し倒された。
そこからは嵐というか怒涛というか、とりあえず唇が腫れるくらい貪られて乳首はそれ以上に弄られてじんじんと痺れた。息も絶え絶えで生理的に浮ぶ涙で視界が滲んだ。腰は密着してるからお互いがどれだけ興奮してるかなんてその形が変る様でわかってた。だから下半身だけ引ん剥かれてカカシさんの白くて綺麗な指がオレの性器に絡みついたときはもうほとんど限界で先走りがべたべたとカカシさんの指を汚していった。
「や、ッは…なし、て」
「うそばっかり」
カカシさんはそう言うと亀頭上部をぐりぐりと掌で刺激した。
「はあっ…あ、あ、あ!」
急激な射精感がわき上がってきてオレはカカシさんの手に精液を吐き出した。
「はっ、は、、、はぁ……」
目の前が真っ黒でひどく身体が重い。動きたくないな、て思ってたら足が宙に浮いて尻の穴に生温かい液体をぬられた。くちくち、と入り口を広げて指が1本、2本と入っていく。中でバラバラに動く指はオレのイイところを掠るだけで決定的な刺激はこない。それでも慣れたオレは緩い快楽を拾い上げ再び勃起しはじめる。痛みと淡い快感で頭がおかしくなりそうでカカシさんを睨んだらにやり、と悪魔のような顔で笑っていきなり肉棒を押し込んできた。
「ッ……!!!」
オレの身体は熱くて太いそれを慣れたように飲み込んでいく。痛みよりも中から沸き起こってくる快感に息が出来なくなる。苦しくて何かに縋りたくてカカシさんの背に爪を立てた。ぱつんぱつん、と肉と肉がぶつかり合い、粘膜が擦れあう。
「ぅ……んんんッ!」
角度を変えて、オレのイイ場所を刺激しながら執拗に中をかき回す。がつがつと激しく打ち付けられて目の前が快楽だけになった。オレは白痴のようにあ、あ、と叫んでいた。深く入り込んだカカシさんがごりごりと最奥を突く。火花が弾けたような痺れる快感にぎゅっ、と締め付けたらカカシさんが達した。オレも自分の腹に精液を撒き散らした。
どくどく、と全身が心臓になったみたい。荒い息遣いがうるさい。今度は動きたくない、じゃなくて動けない。
「ひッ……ぁぁ」
ずるりと抜かれる感覚は今のオレにはつらい。
「そんな声出さないでよ」
またヤりたくなるじゃない、と笑いながら瞼にキスした。ほんとはヤられるかな、と思ってたんだけどカカシさんは明日も朝早くからオシゴトに行くみたいだから今日はこれでおしまいらしい。ぼやけた眠気が徐々に全身を包んでいく。
「ふぁ…っ」
あくびがでた。
「ほらほらもう寝ちゃいな」
カカシさんが柔らかいリネンのタオルケットを掛けて頭を撫でてくれる。それが気持ちよくて、いつの間にかオレは深い眠りについていた。


咽喉が渇いて目が覚めた。カーテンの隙間からオレンジ色の光が差し込んでいて少し眩しい。オレはカカシさんが起きないようにこっそりベッドから抜け出し、台所に向かった。冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し一気に飲み干した。口から零れた水をTシャツの片袖で拭い、もう1本取り出そうとしたとき右腕の傷が目に入った。
見慣れているはずのそれは違うもののように感じた。
オレは恐くなった。
急いで冷蔵庫の扉を閉めリビングに戻った。棚の上にテーミスのブロンズ像が目に付いた。オレはそれを掴むと洗面所に向かった。
洗面所は真っ暗だった。でも廊下から光が入ってきていたから鏡の位置はすぐにわかった。
鏡にはオレが映っていた。
醜いバケモノが暗い目でこちらを見つめていた。そして、嘲った。
オレは持ってきたブロンズ像を思いっきり投げつけた。
ガッシャーン!と派手な不快音をたてて鏡は割れた。足元を見ると割れた破片がオレをじっ、と見ていた。
バタバタと足音が近づいてくる。暗くなったと思ったら入り口にカカシさんが立っていた。割れた鏡、散らばる破片、その中で立っているオレ。カカシさんは溜息をつくと動かないで、と言ってどこかに行ってしまった。その間にオレは手ごろな大きさの破片をポケットに隠した。

カカシさんは怒るというより呆れていた。
「何かイヤなことでもあった?」
でもとても優しいからこういう風に聞いてくれる。だけどオレは傷のこともあいつのことも話す気はなかった。
「カカシさん」
「なに?」
オレは隠し持っていた鏡の破片と腕の傷を見せて
「これで、ここ切ってください」
と言った。
カカシさんはちょっと吃驚した。けど困った顔で笑って「いいよ」と言ってくれた。

冷たい刃が腕に吸い込まれていく。
カカシさんは一ミリもズレないように慎重にゆっくりと切っていく。
真剣な顔、あんまり見せてくれない赤い左目も開いてて少し嬉しい。オレはこのガーネットの瞳が好き。最初はびっくりしたけど、とっても神秘的な色でオレはこんなに綺麗な色見たことなかった。その目は友だちから貰ったもので、顔の傷は移植するときについたものって言ってた。いいな、オレの疵と全然違う。
じわりじわりと赤い血がでてきた。
いたい、けど大したことない。
だってこれはカカシさんがつけてくれた傷だから。

とうとう破片は薬指と小指の間にまで到達した。血が馬鹿みたいに出てる。それをカカシさんが舐め取っていく。ぐりぐりと舌で傷口を広げるようにしてわざと血を出しては舐めていく。それが何だかおかしくて嬉しくて「身体各部の一番醜く汚い傷をその破片で切ってください」とお願いした。
左腕、右足、左足、胴、背、頸、顔と順番に切ってくれた。
カーテンの隙間から入る光はもう眩しくない。
血に塗れたオレを見てカカシさんは「とても綺麗だよ」と言ってくれた。


オレもあいつも死んだ。
だけどオレはカカシさんの手で、再生された。